<メリーさん>
今回は、「さっちゃん」と同等にメジャーな都市伝説である「メリーさん」について考察を行い、「さっちゃん」と比較することによって都市伝説自体が持つ本質を考察する。
それでは、まずメリーさんの都市伝説自体を見てみよう。
少女が引越しの際、古くなった外国製の人形、「メリー」を捨てていく。
その夜、電話がかかってくる。
「あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの…」
電話を切ってもすぐまたかかってくる。
「あたしメリーさん。今タバコ屋さんの角にいるの…」
そしてついに「あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの」という電話が。
少女は思い切って玄関のドアを開けたが、誰もいない。やはり誰かのいたずらかと思った直後、またもや電話が…
「あたしメリーさん。今 あなたの後ろにいるの」
都市伝説「メリーさん」の複数のパターン
これが都市伝説「メリーさん」の原型である。この都市伝説には複数のパターンがみられる。
パターンT:主人公が一軒家のパターン
このパターンが最も一般的な物で、上記と同じものである。
このほかのパターンはすべてこの基本のパターンを改編したように思われる。
パターンU:主人公がマンションに住んでいる場合
このパターンは主人公がそれなりの高層マンションに住んでおり、メリーさんが階を上がるごとに電話をかけてくる、というパターンである。このパターンは、メリーさんの話の『自分は動かずに相手に追いつめられる恐怖』を増長させたパターンである。
パターンV:主人公が逃げ出すパターン
このパターンでは主人公は家から飛び出して逃げ出してしまう。しかし、メリーさんはだんだんと近づき最後は追いつかれてしまう、というもの。
パターンUの『待つ恐怖』から『逃げる恐怖』へと、恐怖の質が変化している事が分かる。
「メリーさん」における都市伝説的特徴
T:「さっちゃん」との都市伝説的限界の違い
「メリーさん」という都市伝説における大きな特徴は、個々人の恐怖に対して臨機応変に対応できる点にある。
たとえば、都市伝説「さっちゃん」の場合、基本的には『さっちゃん』という原歌があり、その歌にのっとった形で続きの歌詞が創作され、そしてその歌詞は定着していった。この場合、「さっちゃん」という都市伝説が曲数という形である程度の制限が設けられている事が分かる。たとえば、「さっちゃん」の歌詞が100番目まであったとしたらどうだろう。これは都市伝説の形としては明らかに不完全なものになってしまうのではないだろうか。つまり、ある程度の以上の類似系が制限される、『歌』という媒体を使ってしまったことが、「さっちゃん」の都市伝説的限界を作る原因となっているのだ。
ところが、この「メリーさん」はどうだろうか。『歌』という媒体に縛られない分だけ、作り手によってストーリーの改編が許される余地が「さっちゃん」以上にある。このことは、前述した「メリーさん」のパターンUである『待つ恐怖』からパターンVの『逃げる恐怖』へと都市伝説自体の恐怖の質のマイナーチェンジが可能な点からもわかるだろう。
U:「メリーさん」自体が抱える都市伝説的限界
「さっちゃん」に限界がある、ということは前述したが、「メリーさん」にも都市伝説的限界は見られる。それは「メリーさん」自体に負わせられた都市伝説的な役割に起因するものである。この話の中で、メリーさんはあくまで『追う者』として、立場を限定されている。『追う者』としての立場を変えてしまうことは都市伝説としての「メリーさん」のアイデンティティを崩壊させることとなってしまうので(もはやそれは違う都市伝説となってしまうので)、この部分を改編することはできない。この点は、恐怖を与える側における役割の限定という都市伝説そのものが根本的に抱える限界をも示している。
V:「メリーさん」の持つ都市伝説的進化の可能性
「メリーさん」が都市伝説的限界を持つこと前述したが、今度は「メリーさん」が持つ都市伝説的進化への可能性についてみてみたい。
前述したパターンU、パターンVに見るように「メリーさん」は『追われる者の立場』についてはある程度の改編の自由が認められている。
ここで「メリーさん」の都市伝説的進化の可能性の一端を示すような例をいくつか紹介したい。
進化のケースT:主人公の少女が後ろを振り向かなかった場合
メリーさんから「あたしメリーさん。今 あなたの後ろにいるの」と電話を受けるが、主人公の少女はいつになっても振り向かず、その後数カ月間によって主人公の少女の後ろを泣きながらついてゆくメリーさんの姿が目撃される。
進化のケースU:主人公が超高層マンションに住んでいる場合
一回上がるごとに主人公に電話をかけてくるメリーさんだが、主人公が超高層マンションに住んでいるため、主人公のところにたどりつく前に力尽きてしまう。
進化のケースV:主人公が壁を背にしていた場合
主人公が壁を背にしているために決め台詞である「あたしメリーさん。今 あなたの後ろにいるの」と言ったと同時にメリーさんは壁に埋まってしまう。
これらのケースではどのメリーさんも主人公のもとにたどりつく前に撃退されている。このような進化の形を「メリーさん」がみせたのはなぜだろうか。
考えられるのは前述した「メリーさん」が持つ都市伝説としての自由性である。メリーさんの『追う者』としての立場以外が固定されていなく自由に創作することが出来る点が、人に恐怖を与える話だったはずの「メリーさん」をコミカルな話に改編する余地を与えたのではないだろうか。
「メリーさん」に見られる都市伝説の普遍的な進化の可能性
今回、都市伝説「メリーさん」において、その『都市伝説的限界と進化の可能性』について考察を行ったが、この都市伝説的特徴は、「メリーさん」や「さっちゃん」以外のすべての都市伝説にも適応されるものであろう。つまり、都市伝説は個々それぞれが『恐怖の限定された形を持つ役割』や『都市伝説的形状の特徴(たとえば、「さっちゃん」のように歌を媒体として使っているもの等)』を持ち、その役割や特徴以外の部分は自由に改変が可能なのである。そして都市伝説自体が抱えるその特徴こそが、都市伝説を都市伝説たらしめる、つまり曖昧でつかみどころがなく、ただ漠然とした恐怖や不安を私たちに与え続ける要因なのではないだろうか。
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